今夜の22時に帰った予備校生のSちゃんが、
今年最後の受験生だった。
これにて「いったん終了」。
(まだ後期試験があるかもだから)
さて、
毎年個人的にとても感慨深いのは、
大学入学共通テストの前日と、
国公立大学の2次試験の前日の、
2日間である。
「明日、うまくいってほしい」
そういう想いが半分であり、
「(指導は)やり切れたんだろうか?」
という想いが半分。
「やり切る」というのは、
その程度が様々である上に、
主観的要素が強いから、
考える人によっては「満足・充実」。
考える人によっては「心配・不安」。
そう、
ものごとをどうとらえるかは、
人それぞれ。
疲れた自分の体の感覚とともに、
祈るような気持ちがわいてくるのも、
指導のすべてが終わったとき。
制限時間による「強制終了」だ。
「時間さえあれば…」
まるで自分の指導技術や塾の環境、
そういったものには落ち度がない、
そう信じてしまう、なおかつ、
生徒に対しても秘められた潜在能力は、
そもそも十分にあるはずだと信じ抜く。
だから、
うまくいかないことがあるとすれば、
それは「時間の多寡(たか)」。
毎回そう思いたくなる。
だけれども、
実際のところはどうなのか?
本当にこれ以上ない指導技術のレベルに、
自分は達しているのか?
どこの塾や予備校よりも、
「良い環境だ」
と自信をもって言えるのだろうか?
そう思い込むのはカンタンなこと。
だが、実態はどうだったか?
「やり切る」ことができさえすれば、
みな誰でも勝てるというわけでは、
決してない。
大学入試は特にそうだが、
どんなに頑張ってもすべての問題が、
解ける状態になって受験会場に登場する。
それは理想であって、
現実は絶対にそうはならない。
それはどんなに優秀な生徒であっても、だ。
そういう「不完全な」状態であっても、
明日はやって来る。
そして、
その明日こそが決戦の舞台となる。
不完全な状態であっても、
そのときの力を完全に出し切れるか。
その実戦的な能力が問われるのが入試。
その積極的な心構えが問われるのが入試。
それが毎年見てきた「真実」ならば、
ふだんの塾での指導、
予備校での指導には、
まだまだ改善の余地は残されているはず。
改善の余地は次世代の受験生たちへの、
「指導の課題」として持ち越される。
どんなに頑張っても上には上がいるし、
指導の技術の進歩に終わりはないはず。
そう新たに思って明日からもがんばろう。
私にとってそういう決意の日は、
先に上げた2日間をおいて他にない。


