高校生のTくん、今日入ってくるなりの第一声が、
「先生!今日はいいことがありました!」
と、元気よく話しかけてきました。
「なになに?何がいいことだったの?」
と尋ねると
「国語のテストの漢文で、こないだ勉強したところが出てほとんど解けました!」
とのこと。
これまで比較的漢文を苦手としていたT君だったのですが、2月ごろから毎回少しずつ漢文のプリントを解いていました。
苦手としていた漢文が読めたことがとても嬉しかったようで、とても明るく話してくれ、その後の勉強もとてもスムーズでした。
漢文はルールを知っていれば読めますが、知らなければほとんど読めないものです。
毎日少しずつでもいいので漢文を声に出して読んだり、訓読文と書き下し文を書いたりする地道な作業の積み重ねが必要です。
古代の中国や日本の文献を知るということは知識と歴史を同時に学ぶということです。
「漢文や古文は社会に出ても役に立たないから高校生に学ばせる必要はない!!」
などと、「識者」を自称する人たちが巷ではそれっぽい言説を振りまいていますが、歴史に学ばない人間は歴史の悲劇を繰り返します。
「役に立たない勉強なんかしなくてもいい」
という事をもっともらしく言うような、そういった手合いの言い逃れを、
「めんどくさい勉強をしないで済ませたい、楽をしたい」
と子どもたちが利用してしまわないように、勉強することとの楽しさを通じて伝えていきたいですね。
(文責:岡本)